「針」の一文字を削らないで。メーカーの「かぎ編み」発信に思うこと

長いつぶやき

ざわついた、一通の投稿

先日、ある老舗メーカーの公式アカウントで「かぎ編み」という言葉が使われているのを見かけました。

長年、質の高い道具を作り続けてきたメーカーだからこそ、余計に気になったのかもしれません。

「言葉なんて通じればいい」
「時代に合わせて変わるものだ」

そんな声も聞こえてきそうです。

実際、その通りだと思う部分もあります。

でも、長くこの文化に触れてきた身としては、それは単なる略称以上に、胸が少しきゅっとする出来事でした。

略称は「話し言葉」でならいい。だけど…

今は空前の編み物ブーム。

SNSでは「かぎ編み」「棒編み」という言葉が飛び交っていて、コミュニケーションとしての話し言葉なら、私自身も特に違和感はありません。

最近編み物を始めた方にとっては、むしろその方が自然に感じる人が多いのかもしれませんし、なんなら半世紀近く編み物をしていた人の中にも、そのように言ってきたという声があります。

ただ、私は自分のブログでは、あえて「かぎ針編み」「棒針編み」という正式名称を使い続けてきました。

編み物が今ほど注目されていなかった、「編み物はダサい」「編み物は貧乏くさい」なんて言われていた冬の時代も、編み物という文化を絶やさないように続けてきた人たちへの、ひとつの敬意のようなものでもあるからです。

プロだからこそ、ちゃんとしてほしかった

もしかしたら、SNSの担当者さんが若くて、正式名称を意識していなかったのかもしれません。

あるいは、検索されやすい言葉を選んだ、ほんの小さな判断だったのかもしれません。

それでも、彼らは「針」を作るプロです。

道具に敬意を払うなら、その道具の名前を冠した技法も、丁寧に扱ってほしい。

流行りに合わせることよりも、文化の背骨を支える存在であってほしい。

そう願ってしまうのは、古参のわがままでしょうか。

編み物が「ダサい」と言われていた頃も、私はずっとこの世界に触れてきました。

流行とは無縁の中でも、好きだから続けてきたし、道具についても、できるだけ良いものが長く使われてほしいと思って、言葉を選びながら発信してきたつもりです。

100均の道具が身近になった今でも、メーカーの針の良さや、長く使える道具の価値を伝えたいと思ってきました。

だからこそ、あの投稿を見たときに、
うまく言葉にできないけど——

少しだけ、自分が大切にしてきたものが、遠くに行ってしまったような。
そんな寂しさを覚えたのも事実です。

大げさかもしれません。
それでも、その感覚だけは、嘘をつきたくありませんでした。

「かぎ編み」と「かぎ針編み」に違いはあるのか

ここで一度、言葉としての整理もしておきましょう。

結論から言えば、「かぎ編み」と「かぎ針編み」は意味としては同じものを指しています。

ただし、「かぎ針編み」「棒針編み」は、今も公的な場や専門的な文脈では正式名称として使われています。

こうした場では、一貫して「かぎ針編み」という言葉が用いられています。

つまり、「かぎ編み」はあくまで略称・口語的な表現という位置づけになります。

なお、かつてはJIS(日本産業規格)においても、「かぎ針編み」「棒針編み」という用語が定義されていました(旧JIS L 0201)。

その後、編物用語の規格は「JIS L 0211」へと整理・統合されましたが、その過程で「かぎ針編み」「棒針編み」といった用語自体は規格から外れています。

現在の規格では、「メリヤス(編地構造)」など、より工業製品としての編物を前提とした用語が中心となっています。

事実、手元の「JISハンドブック2018(繊維)」を確認してみても、「かぎ針編み」「棒針編み」という用語は見当たりませんでした。

「かぎ針編み」という言葉の居場所

言葉は、時代とともに変わっていきます。

実際、以前に書いた記事
編み物文化の守り方:それでも私が「正しい言葉」を使い続ける理由」でも触れたのですが、

たとえば「的を得る」という言葉が、三省堂の辞書に掲載されたとき。

本来は「的を射る」が正しいとされてきた中で、その変化に戸惑いや寂しさを感じた“言葉のプロ”もいたのではないか、と想像します。

それでも、言葉は時代によって移ろうもの。

JIS(日本産業規格)の中から用語自体は規格から外れているように、
抗えない流れの中で、少しずつ形を変えていくものでもあります。

だからこそ私は、その変化をすべて否定したいわけではありません。

略称が広がることも、新しい人が入りやすくなるきっかけのひとつだと思っています。
だから、すべてを正そうとは思いません。

ただ、静かに、Popknitter.comというブログに残していたいと思います。

諸行無常のなかで、私は言い続ける

私はこれからも、「かぎ針編み」「棒針編み」と言い続けます。

それが、編み物が今ほど注目されていなかった時代も、手を動かし続けてきた人たちへの敬意であり、わたしのアイデンティティの一つでもあり、この文化に対する自分なりの誠実さだと思うからです。

もしかしたら将来、「昔はそう呼んでいたんだよ」と語られる日が来るのかもしれません。

それでもいいのです。

その日が来るまでは、私はこの言葉を、使い続けていこうと思います。
淡々と。