先日Xで「ねじり目警察」って言葉を見かけたんですよ。
あー、これ、私のことだなって思いました。
ねじり目ってね、すごく気になるんですよ。
だってこの先の習得で絶対に詰むもの。
でも、ねじり目警察という言葉を知る以前にわたしはスルーするようにしました。
ねじり目警察って何?

「ねじり目警察」っていうのは、人の作品を見たり、針の操作を見たときに、
- 「そこ、ねじり目になってますよ」
- 「その編み方は表編み/裏編みじゃなくてねじり目ですよ」
みたいに目がねじれていることを聞かれてもいないのに指摘する人のこと。
でも編み物って「どっちの編み方が正しい」より「どっちが好きか」とか「どう仕上げたいか」でやり方がかわることも多いんですよね。
だから、指摘されるとちょっと萎えちゃう人もいるんだと思います。
まっとうな指摘でも警察扱い

言い方がきつければ「警察だー!!」言われるのは理解できますが、
やさしく伝えても「ダメ出しされた」って感じてそれを「警察だ」という人もいます。
例えば棒針の入れ方が逆で「それだとねじり目になるよ」と伝えたとします。
こっちは「知識をシェアしたつもり」なんだけど、
相手は「なんか否定された気がする」となる。
このようにSNSでのコメントのやりとりで
「そんなつもりじゃなかったのに」
というような受け止められ方をすることはよくありますよね。
編み方の基本を理解している人からすると、“ねじり目”と“ねじれてしまっている目”は全くの別ものです。
“ねじり目”は編み方の一つで、
“ねじれてしまっている目”はミスなのですが、
それを理解するのは今のねじり目さん(勝手にそう呼びますけど)たちには無理なのです。
社会人にならないと親がうるさく言っていた「勉強しなさい」の重要さが分からないのと同じように。
正しいことを言ってても、受け取り手次第で「警察」になるのです。
このあたりは本当に難しいですね。
わたしがねじり目警察をやめた理由
以前は「このままだといずれ困るだろうな」と思って通りすがりに「ねじれてますよー」とさらりとコメントしていましたが、ある時「正しい指摘でも警察扱いされる」という現実に気づいたんです。
あと、ねじり目で編んでる人が多すぎて、
いちいち言うのが面倒になったっていうのもあります。
正直、他人がねじり目で編んでても自分には何の影響もないんですよね。
画面の向こうで誰かがねじり目で編んでる、それだけ。
だったら放っておこう。
何も言うまい。
ちなみに将来どの様に困るのかこちら↓の記事で解説しています。
どう困るのか知りたいねじり目さんは読んでみてください。
コンビ式に繋がったりと、ねじり目問題は案外深いのです。
2歳児のフォークから学んだこと
友人の子が2歳のとき、フォークで味噌汁をすくえなくて泣いていました。
「スプーンの方が上手にできるよ」とスプーンを渡したら「いらない!」って怒って大泣き。
この時の2歳児は「フォークで自分でやりたい」っていう気持ちが強かったんですね。
本人が自分の意思で頑張ってるときに、大人の正解を押し付けると逆効果です。
ねじり目さんも同じだと思います。
たとえ間違った編み方をしてても、今はそれで楽しいんだから邪魔する必要はない。
そのうち「これだと仕上がりが変だな」とか「この模様できなくない?」って自分で気づいて、直す時がきます。
フォークの子がやがてスプーンを自然に使うようになったのと同じです。
出番は「聞かれたとき」だけ

どれだけ気になったとしても自分の教え子でない限り、「これで合ってますか?」と聞かれたとき以外は黙っていましょう。
こっちから先回りして指摘する必要はないと思います。
失敗をして、自分で気が付き、修正をする。
編み物はこれの繰り返しです。
ねじり目という失敗は初心者あるあるです。
わたしも裏編みの習得に苦戦してねじり目になっていましたしね。
みんなも乗り越えた失敗です。
今ねじり目になっている人もいずれ自分で乗り越えるでしょう。
前に書いた「編み物が向いていない人は意思決定ができない人」って記事にもつながりますが、
ねじり目さんたちは、自分で「編みたい!」と思って行動してるんですよ。
やってみる。
教わる人を選ぶ。
そのように意思決定し、行動したことが素晴らしいことだと思います。
間違ったことを教えている人について行ってるにしても、詐欺にあってるわけではありません。
だからわたしはこの様に提唱します。
ねじり目はスルーでいい。むしろ行動力を応援しましょう。