みなさんは、普段どんな風に編み物を楽しんでいますか?
「自分で自由に形をデザインしたい」という方もいれば、「素敵な編み図(パターン)を見つけて、それを編む時間が至福」という方もいるでしょう。
結論から言うと、現在のわたしは「誰かがデザインしたパターンで編むのが、最も合理的である」という結論に達しています。
素晴らしいデザイナーさんたちへの最大のリスペクトを込めて、わたしは今、あえて「自分ではデザインをしない」という選択をしています。
一見すると消極的に見えるかもしれませんが、これはわたしのこれまでのキャリアから導き出した、編み物を全力で楽しむための「前向きな合理主義」なのです。
今回は、かつて自分でデザインをしていたわたしが、なぜ今はあえて「デザインをしない」のか。
その理由を、わたしのキャリアや海外パターンとの出会いと共にお話したいと思います。
編み物デザインの原点:情報の少なかった高校生時代
実は、わたしも最初からデザインをしなかったわけではありません。
学生の頃は、自分でデザインをして編んでいました。
当時は今ほどインターネットに情報があふれておらず、自分の「編みたい!」と思うデザインに出会えないことが多かったのです。
今でもはっきりと覚えているのは、アラン模様のミトン。
選択授業で被服のクラスをとっていた時に編み物の授業がありました。
小学生の時からゆるゆると編み物をしていたのですが、この時に編み物に夢中になります。
自由作品の課題ではニット帽を編みました。
基本の構造は本のとおりなのですが、色使いやポンポンに少しアレンジをして提出したらそれがべた褒めされて調子に乗って、課題も提出済みなのに、オリジナルのミトンを編みました。
リブの部分はサーモンピンク、本体はサーモンピンクと白の引きそろえのアラン模様。
ノートにざっくりと設計図だけ書いて。
クラス担任が家庭科の教科担当兼部活(編み物は全く関係ない部活)の顧問であったのも幸いですね。
完成して先生に見せて褒められて調子に乗る。
これがわたしのデザインの始まりです。
しかし、社会人になり、環境が変わるにつれて、わたしの中の「何のために編むのか」という目的が、少しずつ形を変えていきます。
人は何のために編み物をするのか?目的による2つのタイプ

そもそも、人は何のために編み物をするのでしょうか。
わたしは大きく分けていくつかのタイプがあると考えています。
ただ手を動かしたい人
編む行為そのものが癒やしであり、目的であるタイプ。
誰かのデザインでも、自分で自由に編むのでも、どちらでも心地よさを感じられます。
自己表現の手段としている人
- 「作品そのもの」で表現したい:
自分の内面や世界観を編み物で形にしたいタイプ。このタイプの多くは、自由に編みたい、自分でデザインをしたい人だと思います。 - 「身に着けること(ファッション)」で表現したい:
衣服や身の回りのものとして実用し、それを身に纏うことで自分を表現したいタイプ。
もちろん、ほかの理由もあると思いますけど、身の回りを見渡すとこんな感じかなと。
わたしは完全に、後者の「ファッションとしての自己表現」タイプです。
だからこそ、自分が日常で「実用できるもの」しか編みません。
そしてこの「実用性」と「心地よさ」を追求した結果、導き出されたのが「合理性」という答えでした。
Webデザイナーからコーダーへの転機が、私の編み物観を変えた
金融機関に就職し社会人になると、学生の頃と比べて圧倒的に「時間」がなくなりました。
当時はまだスマホもなく、一部の意識が高い人だけがPCでネットに繋がっていた時代。情報は主に「本」から得るしかありませんでした。
その後、わたしはDTPオペレーターを経て、DTP・Webデザイナーへと転職します。
仕事としてデザインにどっぷり浸かる日々を過ごすと、デザインという仕事は、最高に楽しい反面、生みの苦しみや辛さも伴う「創作」の現場です。
仕事でクリエイティブなエネルギーを使い果たすうち、私生活における「編み物の創作意欲」は、自然と下がっていきました。
そんな中、わたしの中で大きな転機が訪れます。
デザインそのものよりも、デザインを形にする「コーディング」の作業が楽しくて仕方がなくなってしまったのです。
結果として、わたしはデザイナーを辞めてコーダーになりました。
(今はまた違う職についています)
この時、心から思ったのです。
「デザインは、もっとセンスがあるプロの人に任せよう」と。
私が編み物のオリジナルデザイン(創作)をしない「合理的な理由」

このキャリアでの気づきは、わたしの編み物スタイルに決定的な影響を与えました。
編み物を自分でゼロからデザインしようとすると、計算や試作、調整に膨大な時間がかかります。
完成までに時間がかかりすぎる。
それが、わたしにとってはもどかしく感じられるようになったのです。
わたしにとっての編み物の快感は、デザインを生み出すことではなく、「美しい構造や、緻密な形へと組み上がっていく工程」にありました。
これはまさに、デザインカンプを前に「どう組めば美しく実装できるか」を考える、コーディングの楽しさと全く同じだったのです。
デザインを楽しいと思えなくなってから、わたしの進むべき道は明確になりました。
「楽しめないことに時間は使わない。
レシピ(パターン)はプロに任せて、“編むこと”そのものを、効率よく最大限に楽しみたい」
SNSでの情報収集と、海外パターンの底なしの沼
そう決意した頃、わたしは海外パターンの底なしの沼へとハマっていきました。
かつて、日本の編み物本に掲載されているデザインが、その、ちょっとダサ…(以下自主規制)に思えてしまう時期がありました。
(あくまで当時の、わたし個人の主観です)
「本の中に編みたいものがない」と感じたわたしは、情報収集の方法を本から「SNS」へと変えました。
そこで目にした世界は、まさに衝撃でした。
国内外を問わず「今すぐ編みたい!」と心が躍るような、素晴らしいデザインのパターンであふれ返っていたのです。
本以外の媒体、デジタルプラットフォームからパターンを探し始めた瞬間、わたしの「編みたいものリスト」は爆発的に膨れ上がりました。
おそらく、一生かかっても編み切れないほどのすばらしいデザインが、世界中の一流のデザイナーによって日々生み出されています。
しかも、毎シーズンそのリストは更新されていくのです。
そんな状態では自分でデザインしている余裕はありません。
まとめ:編み図通りにしか編めないと嘆く必要がない理由

時折、
「わたしは編み図通りにしか編めない」
「自分で自由にデザインができない」
と、少し寂しそうに話す方に出会うことがあります。
でも、声を大にして言いたいです。
それを嘆く必要なんて、まったくありません。
今、目の前にある編み図を見ながら、手を動かすことが楽しいなら、それで100点満点です。
ひたすらその時間を楽しんで、編み続けましょう。
なぜなら、素晴らしいレシピを編み進めるその手は、確実にいろんなテクニックを吸収し、美しい色合わせのセンスを自然と身に付けているからです。
もしもいつか、世界中のレシピを見渡しても「自分の編みたいものがどうしても見つからない」という日が来たら、その時初めて、それまでにストックしてきた技術とセンスを使って、自由に編み始めればいいのです。
その時にはきっと、自然に手が動くようになっているはずです。
世の中には、私たちの「編みたい欲」を刺激してくれる素晴らしいレシピがあふれています。
誰かが情熱を注いでデザインしてくれたことに心から感謝しながら、今日もひたすら、愛おしい「編む工程」を効率よく、最高に楽しんでいきましょう!
