前回の記事では「ねじり目警察」について、自分自身が警察っぽくなっていたんじゃないか?という気づきを書きました。
あの記事を書いた後もずっと考えていたのですが、今度は「受け止める側」の態度について触れてみたいと思います。
警察認定が早すぎるともったいない
秋になると出没の報告が増える「編み物警察」。
先日見たのはかぎ針のペン持ち、ナイフ持ちについて。
これについてはわたしははっきりと「そりゃ警察だわ」と思います。
だけど、最近はまっとうな指摘すらも警察認定する人が増えてきました。
もちろん、きつい言い方をされたら腹が立つし、そういうのはスルーしてOK。
でも、もし自分自身が本当にやってはいけないことをやっていたら……?
その人の言葉の中に「ちょっと役立つヒント」が混じっていたら……?
頭ごなしに「警察だ!」と決めつけるのは、ちょっともったいないかもしれません。
ハラスメント講習からの学び
この考えにたどり着いたきっかけは、職場で受けたハラスメント講習でした。
そこで聞いた言葉がこちら。
「注意をされて嫌な気持ちになっただけではハラスメントではありません。ハラスメントハラスメントにならないように。」
講習で挙げていた事例は、労働者側が契約内容に則した業務を拒否し、業務上必要な指示・注意をしたところ「ハラスメントだー!」と騒ぎ立てハラスメント窓口に報告してきたという内容でした。
この事例はきちんと事実確認がされ、ハラスメントとしては認められないという結論でした。
編み物も同じかもしれない

これって編み物警察なの?
それともやっぱり自分が良くないことしてる?
と迷うことはありますね。
ここでは聞くべき指摘と、スルーして良い指摘について考えてみましょう。
著作権についてだけはひとまず受け止めよう
編み物警察についてもハラスメント講習であげられていた事例と同じような事例がありました。
この事例は著作権についてです。
先日公開した記事【今度はねじり目警察か…これって自分じゃん】の本文内では
『「聞かれてもいないのに指摘する人のこと」を“警察”だ』
としていますが、著作権については法に触れることもあります。
確かに著作権に関して過剰反応する人もいます(その場合は“警察”になる…かな)が、編み物YouTuberの裁判沙汰を思い起こせば、著作権関連だけはしっかりと自身の行動を見直すべきです。
かぎ針の持ち方やねじり目と著作権関連は性質が違う指摘なので、
「わたしがやってることは著作権的に問題ないですか」
と聞いていなくても著作権について指摘された場合は、“編み物警察”と認定してスルーするのは良くないです。
編み物YouTuberの訴訟問題については、訴訟した側が半端な著作権の知識をもって訴訟して敗訴になったわけですが、一瞬の感情だけで放置してやっかいなことにはなりたくないでしょ?
ちなみに編み物の著作権の訴訟問題については「編み物ユーチューバー 裁判」でググればすぐにわかりますので、知らない人はちょっと調べてみるのがおススメです。
編み物の何に著作権が発生し、何に著作権がないのかがわかります。
スルーしても良い指摘だけどちゃんと聞くと良いかもしれないこと
さて、かぎ針の持ち方やねじり目など、法に触れないような、「好きにして良い」ことについても考えましょう。
例えばかぎ針編みでよく見る“編み物警察”はペン持ち・ナイフ持ち問題。
これはただの使い分けです。
指摘を受け入れるのもスルーするのも、どちらでも好きにしましょう。
ただ、「これを編んでるときはペン持ちが良いんじゃない?」という言われ方だったら試しみるのはありです。
細い糸を編むときはペン持ちの方が細かい動作をしやすいのでクオリティが上がるかもしれません。
次にねじり目について。
もう、当ブログでさんざん語っているので省きます。
気になる人は↓こちらを読んでください。
冷静に受け止めてみると、ためになることは案外あるものです。
言われた直後にカッとなったり、意固地になったりするかもしれませんが、時間をおいて冷静になれたときに振り返って、受け入れてみたら案外良いこともあると思いますよ。
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警察になりたくないのに警察っぽくなってしまう人、おせっかいだけど憎めない人、アドバイスは欲しいけれど言い方がきつい人……。
警察側の胸の内をのぞける記事で、今回とあわせて読むと全体像がすっと見えてきます。
「著作権関連(特に編み図や転売)を指摘されて放置したらすごくやっかいなことになりますよー。」
という話として、いったいどれくらい著作権関連のトラブルはやっかいなのかを知ってほしくて紹介しました。
注:訴訟を起こした人が敗訴しています。